2017/4/3(発表文)
2017定期総会会長あいさつ
関西山岳会会長
木下 荘
新体制発足後1年が経ちました。2015年10月、この時点では会は組織として機能していませんでした。そこで9年振りの運営委員会開催を要請、この拡大運営委員会で会組織の存続が決定されました。
<二つの側面>
昨年の総会でも申し上げましたが組織には、実践部門と組織全般を統括する部門、この二つの側面があります。他の競技団体でも同様、選手・コーチの実践部門と理事会など組織全体を統括する部門、企業も同様、社員、と取締役など組織全体を統括する部門です。両部門、各階層でそれぞれの立場で果たすべき役割があります。
ある時、「山岳会は登ってなんぼですわー」との言葉を耳にしたことがありますが登ることだけが組織の機能の全てではありません。その立場、立場で果たすべき役割あります。新人の時にはテントキーパーとしての、サブリーダー、チーフリーダー、遠征隊の隊長、…それぞれの立場で果たすべき役割が新たに加わります。その新しい任務に順応し役割を果たすのが基本です。
<現状を常に見直す>
この組織を継続的に維持していくには前年の活動をなぞらえるだけでは組織を維持できません。組織は衰退するだけです。現状を常に見直し刷新することです。これを疎かにすると、周囲は流動的に変化しているにも係らず自分達の立ち位置は停止したままとなります。
山岳界でも社会環境・ニーズの変化に応じて活動内容も組織の名称も見直されています。日本山岳協会は、今年4月「日本山岳・スポーツクライミング協会」と名称を変更。日本山岳協会は、昭和35年(1960年)全日本山岳連盟と日本山岳会との両者により誕生した組織で最近の登山活動実態の変化、スポーツクライミングがオリンピック追加種目に決定したことを踏まえての改称です。大阪府山岳連盟も、昨年の法人化にともない正式名称は「一般社団法人、大阪府山岳連盟」となりました。大正12年(1923年)大阪探駆倶楽部として発足したKACも探検の色合いの濃い活動から近代アルピニズムへの変化に伴って昭和21年(1946年)関西山岳会に改名しています。この年は、大阪府山岳連盟が誕生した年でもあります。
この二つの側面と組織の継続性を念頭に新体制構想について2016年4月3日、岩井氏と話し合いをもちました。構想をもとに4/17役員会6/5の総会の承認を経て活動をスタートしました。
<今年度・次年度の取り組み>
今年度の新たな取り組みは、1)意欲のある人には積極的に外部研修に参加してもらった。目的は、体系的に知識・技能を修得、外部との交流を通じて山岳界の動静を体感し、新時代に相応しい活動を進めてもらうため、2)中垣、宮本、権の3氏には例会担当グループに加わり運営面への参画をお願いした。3)会計監事設けた4)会員間情報連絡網「らくらく連絡網」を採用。5)備品管理台帳。6)規約に表記はしませんが総務担当業務の補佐を中垣氏にお願いした。
今年度実施した結果を踏まえて修正すべきものは次年度見直すのは当然です。
<前進するコミュニティと歴史の尊重>
今後は、今回、会長を引き継ぐ予定の岩井氏は、アルパインクライミング、ボルダリングも体験、実質的に総務業務を補佐する中垣氏は、ボルダリング、スポーツクライミング、トレイルランと、新たなスポーツに取り組んでいます。柔軟な思考で若い世代が主体的に活動を展開すべき時代です。
一方、KACは94年の歴史あるコミュニティです。先輩のみなさんは、実践面の活動形態は違っても、それぞれの時代でトップクラスの活動をして会に貢献してきた人達です。先輩あって、今があることを念頭に歴史の重みを噛みしめて楽しく、前進するコミュニティを築いてもらうことを期待したい。
縁あって知り合った仲間です。より一層楽しいコミュニティが続くことを期待します。ありがとうございました。
以上
今日は、若い中垣君に司会を務めてもらいます。進行に協力してあげて下さい。
<参考>
<関西山岳会の歩み>
大正12年(1923年)大阪探駆倶楽部 発足
昭和21年(1946年)関西山岳会に改名
(直近の歩み)
1999年 赤山名誉会長の呼びかけで活動再開がスタート。
2000年 箕口氏会長就任
2006年 山崎氏会長就任
2016年 木下氏会長就任